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砂漠の覇者 イブン=サウード

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「私は史書を紐解いたりはしない。私の額には歴史そのものが刻まれているからだ。」

上の言葉は、ある王様がその秘書に歴史書を読むことを勧められた時に秘書に対して放った言葉である。王様の名前はイブン=サウード(生年:1876 享年:1953 本名:アブドゥルアジズ)。今のサウジアラビアの建国者であり、イギリスのチャーチル、アメリカのルーズベルトという稀代の名宰相を手玉にとった砂漠の覇者である。

1.アラビア半島の征服 ーアッラーの名の下にー

 イブン=サウードの生家であるサウード家は、アラビアのリヤドの豪族である。サウード家はイスラム教の一派であるワッハーブ派を保護して、その宗派の名前を冠したワッハーブ王国をアラビアに建てたが、エジプトのムハンマド・アリーの攻撃を受けてその王国は崩壊、一族はクウェートに逃れた。クウェートに逃れた時、15歳のだったイブン・サウードは彼の父とともに亡命生活を送った。しかし、22歳の時、わずか40人の手勢でリヤドに奇襲をかけて奪還に成功した。 

 時は、第1次世界大戦の最中であり、イブン=サウードは連合国の一員であったイギリスとの関係を深めた。当時、アラビア半島においてイブン=サウードの他にもう一人の人物がイギリスと接触して勢力を広げていた。彼の名前は、フセイン・イブン・アリー。預言者ムハンマドの曾祖父ハーシムの血統を引く、アラブ世界で最も崇敬を受けるハーシム家の当主で、イスラム教の聖地であるメッカ及びメディナを管理する権限を持っていた人物である。そして、このフセインの背後のいたのがイギリスの伝説的な諜報員であるトマス=E=ロレンス(通称:アラビアのロレンス)である。このフセインとトマス=E=ロレンスの関係を描いた映画が、かの「アラビアのロレンス」である。フセインとトマス=E=ロレンスは、当時アラビア半島に広大な領地を領有していたオスマン帝国に対して、アラブ民族をまとめて大反乱を起こして(いわゆるアラブの反乱)、アラビア半島にヒジャーズ王国を建国していた。イブン=サウードがアラビア半島を彼の下に統一するためには、この二人のカリスマを相手にしなければならなかった。しかし、時代はイブン=サウードに味方をしていた。フセインは、当時イギリスと、第1次世界大戦でのイギリスへの協力の見返りにアラブの独立の支持(つまりヒジャーズ王国の支持)をするという協定を結んでいた(フセイン=マクマホン協定)。しかし、イギリスは同時にフランス、ロシアとの間に西アジア分割に関する秘密協定を結んでいた(サイクス=ピコ協定)。このイギリスのいわゆる二枚舌外交により第1次大戦後、フセイン側は混乱。この機に乗じて、イブン=サウードはアラビア半島の東側からインドのイギリス兵とともにヒジャーズ王国を攻めたてた。その結果、ヒジャーズ王国は崩壊、イブンサウードがアラビア半島の新たな支配者となった。

 現在、イブン=サウードが上記の過程で建国した国が何と呼ばれているか。この国こそ現在のサウジアラビアである。サウジアラビアとは、「サウード家のアラビア」を意味する。なかなか国名にある特定の一族の名を取った国は存在しないが、やはりこれはイブン=サウードの自信の表れと見ることができる。

2.近代化へ ー前途多難な道のりー

 数々の戦いを経験してきたイブン=サウードがサウジアラビアに最も必要なこととして感じたことは、アラブ民族の近代化であった。しかし、サウジアラビアの設備や武器などを近代化するためには超えなければならない障壁が大きく2つ存在していた。それらは、

1.宗教 2.アラブ民族の民族性 3.お金

である。

 まず、宗教の方から説明すると、イブン=サウードが保護していたイスラム教のワッハーブ派は、イスラム教の数ある宗派の中でもとりわけ戒律が厳しくて近代兵器や新しい技術に対して拒否反応を示すことが多かった。イブン=サウードとともに戦ってきたアラブの戦士達もこのワッハーブ派を信奉する者が多かったので、武器はまだしも近代的なインフラストラクチャーや教育には抵抗するものもいた。

次に、アラブ民族の民族性の問題である。アラブ民族は、遊牧民族であり基本的に定住生活をしてこなかった。しかし、近代文明というのはヨーロッパ発信の文明であり、ヨーロッパの民族は主に定住生活を送っていたので、定住生活と親和性が高い。また、アラブ民族には近代文明に必須の要素である国境という概念が存在していなかった。このように、アラブ民族の民族性は、近代文明と真っ向から対立していたのである。

最後に、お金の問題である。アラビア半島全体を支配下におくということは、多くのアラブ民族を支配下におくということと同じである。しかし、彼らを支配下におくためには族長1人1人に自分が支配者であることを認めさせるために、何か金品を与えなければならなかった。多くのアラブ民族を支配下に置いたイブン=サウードは、多額の金銭を支出しなければならず財産の底が尽きかけていた。また、国家の収入としては、イスラム教の聖地であるメッカおよびメディナへの巡礼者が落としていくお金があったが、時代は世界恐慌。イスラーム世界も世界恐慌の影響を受けて、聖地への巡礼者は大きく減少していた。

これらの問題は、イブン=サウードがサウジアラビアの近代化を達成するために必ず乗り越えなければならない壁だった。しかし、イブン=サウード自身これらの解決策を見いだすことが長い間できていなかった。しかし、イブン=サウードは天に愛された人物であったのかもしれない。これらの問題を一気に解決できるものが、サウジアラビアには存在したことが、この後すぐに判明する。これらの問題を一気に解決できるもの、すなわち

 

       石油

 

である。

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